日経新聞「あすへの話題」 2015年11月18日

どっどどどどうど どどうど どどう・・宮沢賢治の童話『風の又三郎』の冒頭である。実は賢治はこの作品を書く7年前に『風野又三郎』という、題は同じでも「の」を「野」にした童話を書いている。おなじみ「風の又三郎」では、田舎の小学校に転校してきた男の子を子供たちが風の子に違いないと思い込んでしまう話だが、「風野又三郎」は本当の風の子で、鼠色のマントに透き通った靴をはき、姿は大人には見えない。その子が子供達に「大気の大循環」の話をして聞かせるのだ。大気の大循環というのは地球規模で巡る大きな風の流れのことである。たとえば北半球上空では、赤道付近からの温かい空気が南から北へ、地上付近では冷たい空気か北から南へという風に大きな風の流れが出来ていて、この影響で出来る低気圧や前線などが空気をかき混ぜて、地球全体の気温を寒ければ寒いなりに暖かければ温かいなりに一定に保つ役割をしているのだ。私はこの地球を巡る風の旅に賢治のロマンを感じてこの話が大好きだ。
風の子の旅は、赤道付近ギルバート群島辺りの海から静かに昇って北極をめざす。ハワイ上空を通り、気が付くと北極圏に入っている。ぱちぱち鳴る北極光(オーロラ)も面白く白熊もいる。やがて北極の渦に巻き込まれ、今度は海面すれすれの低い冷たい風となって戻って来るのだ。
この本の書かれた90年ほど前は衛星写真もなく、日本では渦について言う学者はいなかったと聞くが、賢治は作品の中でその渦という言葉を使っており、彼は当時の気象学者顔負けの知識を身につけていたことが分かる。気象は科学である。
賢治は科学者でもあっとも言えそうだ。

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