日経新聞「あすへの話題」 2015年8月19日

 猛暑のなか数年ぶりにかき氷を食べようと甘味処へ寄ったところ、待つ人の長い列が出来ていた。夏はケーキより水羊羹など和菓子が人気と聞く。気温と商品の売れ行きは敏感かつ複雑だ。気温が30度を超すと、アイスクリームよりかき氷が売れはじめ、逆に、夏の終わりになると、同じ30度でもかき氷よりアイスクリームのほうが売れるようになるという。夏に疲れた身体が乳脂肪の多いアイスクリームを選択するのだろうか?甲子園ではおなじみのかちわり氷に加え、冷凍のペットボトルが飛ぶように売れている。。
 日本の氷利用の歴史は古く、仁徳天皇の時代の374年には奈良郊外の豪族が氷室(ひむろ)を利用していた話が『日本書記』に出てくる。田口哲也氏の『氷の文化史』によると、平安の最盛期には一年で約80トン、多い日には一日で八百キロの氷が使われていたようだ。冬に出来た氷を洛北などの山の斜面の氷室(ひむろ)に貯蔵しておき、夏に切りだして保津川を舟で運ぶ。氷は酒や料理の冷蔵に、また貴族達の生活にふんだんに使われた。光源氏がごはんに氷水(ひみず)をかけて水飯(すいはん)を食べ、女房たちは手指を氷水に浸して涼をとった。
枕草子には「平安のかき氷」とも言うべく、氷を小刀で削った「削り氷(ひ)」に草を煎じて作った甘葛(あまずら)を入れて食べていたことの分かるくだりがあってびっくりさせられる。
ただ「かき氷」とは言っても、冷凍庫もない時代、はるばる運んだ天然氷は解けやすく、それは削り氷の浮かんだ甘葛入りの冷水に近かったのではないかと思われる。当時最高の贅沢ではあったけれど、ダイナミックなかき氷が食べられるこの時代に生まれて良かったとスプーンを取った。
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