日経新聞「あすへの話題」 2015年10月14日

 前回に続き気象の眼鏡をかけて宮沢賢治の作品をご紹介したい。
農民を冷害から救うために火山を爆発させ、空気中に炭酸ガス(今でいう二酸化炭素・CO2)を増やして気温をあげることを考える『グスコーブドリの伝記』。今から83年前の昔にCO2に着眼している賢治の斬新なセンスと知識に驚かされる。CO2が増え過ぎて温暖化が問題になっている現在とは逆であるのも興味深い。
また東北で水仙が咲くころの、東北の春一番とも言える嵐を描いた『水仙月の四日』。これは日本海側の雪が風花となってやってくる嵐の始まりから終りまでが描かれている。大雪を降らせる季節最後の猛烈に発達した低気圧は、擬人化されて雪婆(雪ばんご)、その命を受けてあちこちに雪を降らせる雪童子(わらす)は、低気圧に伴う発達した積乱雲だ。南半球から頼りなく照らす太陽や嵐のあとに昇って来る朝日の描写もこよなく美しい。透明感があって美しい賢治の自然描写は 彼の精神につながっているように思われてならない。
さらに、本物の風の子が子供達に大気の大循環の話をして聞かせる「風野又三郎」。大気の大循環とは地球を巡る大きな風の流れである。有名な「風の又三郎」を書く7年も前に書かれたもので、地球全体を見つめる賢治のロマンやスケールの大きさが感じられ彼の作品のなかでも特に私の好きな作品である。赤道近くギルバート群島あたりから上昇流に乗って北極を目指して風の子の旅が始まる。宮沢賢治の時代、気象のことといえば地上のことばかりで上空のことが分かるようになったのは戦後のことである。東京へいけば国会図書館に足茂く通って海外の科学雑誌を読み漁っていた賢治は、当時の気象学者顔負けの知識を身につけていたことが分かる。
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